昭和57年1月2日   朝の御理解

                    
  x御理解第44節                    
 「狐狸でさえ神に祭られることを喜ぶといふではないか人は万物の霊長なれば死したる後神に祭られ神になる事を楽しみに信心せよ」

 昨日の元旦祭の中で頂きました事ではないですけれども、お互いが結局幸福になりたいの一念がブリブリとしたおかげを願い求めておる。そのブリブリとしたおかげが頂きたいなら、まずめでたいのおかげを頂けと言うのが昨日の御理解でございましたよね。
 まず自分の心の中にどんな場合であっても有難いと言うか、おめでとうございますと言へれる心をまず作る事だと、そこにブリブリとしたおかげは期せずして頂けると言うわけですけども。そのブリブリとしたおかげをおかげと言う、そのおかげに終始してる間は今日あたりのような御理解を頂きましても、ピンときませんですよね。
 死したる後ぢゃなくて、もう現世でね、ひとつ幸福になりたいと言ったようないわゆる目先目先のおかげに終始してしまうような事ではあいすまんのです。あいすまんぢゃ…勿体ないです。それこそ万物の霊長なればとこう仰っしゃるように万物の霊長なれば死したる後ね。神に祭られ神になる事を楽しみに信心せよと最近合楽では言われるね。
 合楽理念の実験実証がもう日々が楽しい有難いしかも愉快にまでなれれると言うそれなんです。金光様の御信心をしておる、いや改式までさせて頂いておるから死んだあとは霊様になれるんだと言う事も…そうですけども、ここで言われる、神になり神に祭られと言う事はそう言う事ぢゃない。
 霊の神様に祭ってもらえれると言う事ぢゃないと思うです。やはりこの世で神になる、それを楽しみに信心させてもらう。ふんなら神様になる事を楽しみにと言う事はどう言う事かと言うと、日々の信心生活がですね。それこそリズムに乗ったね。合楽理念に基づく生き方が有難いもの、楽しいものに。ここん所の味わいと言うものはね。その気になると誰でも頂けれるんですね。
 そう言う信心が出けてくると、ふんなら昨日ここ二三日申しておりますように、いつのまにか我情が取れ我欲が取れ、和賀心が出来てきておる。いつのまにか研く事だ、改まる事だと分からして頂きながら、研く事、改まる事が出けなかったのが、いつのまにか研かれておる、光を感ずる。
 改まらせて頂いておる証拠に去年の私と今年の私を思い比べてみると、まあようもこんな心の状態になれた事だと思うように有難なっておるね。それこそ自分の心が有難い方へ変わり果てていくと言う事なんですよね、信心と言うのはね。それでいて初めて、なら喜びがいよいよ喜びとして安心を伴うたせ生活が出けるのですね。
 私は今朝からお夢にz『ある人が松葉ぼうきをね、あのこう大体こう握っておるから、こうそれを裏返しにしてその上に何かのせて引っ張っていっておる所』を頂いたんです。その何かと言うのは、まあ何か我情我欲と言う表現ぢゃないかと言う様な感じでしたね。
 松葉がきといやあ皆さんもあれは何と言うですかねえ。不幸をかき集めるか何かと言ったような時にそんな縁起ものに使いますよね。けども私はそれを今朝お夢を頂いてから思わせて頂いた事は、これはいわゆる我情我欲を取ると言う事はいつも心がすっきりしておる事だと。かき集めるのではなくて、いつも松葉かきですかね。あのお庭のしらすな、なら白砂の目を立ててあるでしょうがね。もう実にすっきりしているでしょうね。
 なら合楽理念に基づく生き方と言うのは結局心がいつも有難い、言うならすっきりしておるね。心が有難い。そう言う心の状態を願っての事でございます。合楽理念はそう教えるのですね。心がすっきりとして、そのすっきりとした心に頂くおかげとね。ここ辺の所がね。いわゆるブリブリとしたおかげを頂きたいばっかりに朝参りもしとる、修行もしよる一生懸命に参ってもおると言う信心からね 結局まあ一生懸命の信心がもう兎に角、楽しうしてこたえん有難してこたえんと言う様に段々心がスッキリと有難いと言う事にすっきりと致してまいりましたね。いわゆる本当に例えば「死したる後」とこう言われるね。この心の状態がそのままあの世につながっていくのであるからね。いよいよ神になる事。また神に祭られると言う事も段々確信づけられてくるね。
 人間は万物の霊長なれば万物を見てとこうね。狐狸でさえ神になり神に祭られると言う事を喜ぶと言うではないかと。人間が神になる事を喜ばずして誰が喜ぶかね。人間が神に言うなら狐狸ですらとこう仰せられます。だから人間として本当に我心が神に向うていけれる生き方を身に付けていっておる。誰でもそれを願っておりますし信心を求めてまいりましたけれどもなかなかね。神になる手立てが分からなかったね。
 所が合楽で合楽理念が説かれる様になったら、その手立てがね、もうわざわざそれに和賀心、改まるね。又は研くと言うような事でもですね。合楽理念に基づけば楽しう研く事も改まる事も和賀心になれれる、我心が我ながら拝めれれるような心の状態にもなれて、初めてね。神に祭られ神になる事を楽しみに信心せよと言うのはそう言う事ぢゃないでしょうか。
 まあ年頭にあたって今日は普通では二日起こしと申します。商売でも今日は初売りと言うわけなんですがね。大売出しをするわけでしょうね。私共信心もです。もう今年はいよいよ心の中に頂く喜びを楽しめれるような信心に一心発起させて頂かれたらね。有難いおかげにもなってくる。いわゆるブリブリとしたおかげもついてくると言うふうに思うんです。
 ブリブリとしたおかげを願うと言う事の前にまずめでたくなる。めでたくなると言う事はね。あの男ちっとめでたいなあと言う馬鹿阿呆の代名詞のようなふうに申しますね。いよいよカボチャになる事ね。いよいよ本気でいわゆる馬鹿と阿呆にならせて頂く稽古それを合楽理念に基づいておかげを頂いて行くうちにね。信心の喜びと驚きに触れていけれる日々が頂けると思うんです。
 今日は青年会の方達が御本部の年頭参拝をただ今出発致しましたと思いますが、五時にここを出発する事だったんです。ところが今日に限って五時半まで御祈念が続きましたよね。私はここへ座ってから遅くなったんぢゃなかろう、おそくなるのぢゃないだろうかと思ったら、いいえ丁度よございますと言うわけでございますけれど、これなんかね。もう本当に人を相手ぢゃなくて神様を相手にしなければ出来る芸当ぢゃないと思うですね。「どうぞ」